古河物語弐。
こんばんは。
今日は、秋晴れで気持ちの良い陽気でした。
先日の台風で、仮住まいの屋根の一部が飛んでしまいびっくりでした。
ハクビシンも台風を、やり過ごす為に天井裏にいたようです。
銀座コーチングスクール認定コーチ&SBT2級コーチ&points of youエバンジェリストのJUNKO ASAHARAです。
そこに愛はあるのか?
FBにアップした記事に誤字やら、間違いが多く冷や汗ものでした。
幸いにも、教えてくださった方がいたので助かりました。
ここで、少し感じた事を少し書こうかと思います。
そこに、愛はあるのか?
私は、教えてくださった方側に愛があったから嬉しかったのです。
と思っていたのですが…
今日になって、気付いたことがありました。
私の方に、愛があったから嬉しかったのだ!
仕事柄、小さなミスが許されず、指摘を受ける事が度々あります。
私から、指摘をする事も、ちょくちょくあります。
ここのところ、仕事でストレスが溜まっていたようで、仕事の指摘を受けるとイラッとしていました。
指摘をする側に、愛がないと感じていたのです。
しかし、待てよ?
相手は、ただミスだけを指摘しているのに何故イラッとしたのか…。
そう。ネガティブフィルターです。
相手は、善かれと思い指摘をしてくれてるのに私の方がネガティブフィルターかけて相手を見ているので、イラッとしてしまったのです。
自分の好き嫌いで相手を見てしまうとフィルターが、かかりやすくなりますよね。
仕事をしながら、気が付きました。
職場の皆んな、イラッとして、ごめんなさい。
古河物語弐
さて、前回の続きです。
渡良瀬川は、昔から度々氾濫を起こしていたようです。
母の生家や、渡良瀬川流域に、住んでいる方達の家の天井には、舟がくくりつけてあったそうです。
赤ん坊の泣き声
船頭が、赤ん坊の泣き声のする、川の中洲に近づきながら、舟の上から様子を伺ってみると…
そこには、紛れもなく人間の赤ん坊が大きな声をあげて泣いていたそうです。
船頭は、慌てて舟を中洲まで寄せ、赤ん坊を抱き上げました。
「こんな所に、捨て子して。可愛そうに。」
岸に上がった船頭は、赤ん坊を家に連れ帰ったそうです。
船頭の家には、子供が居なかったそうです。
昔は、捨て子は今の時代と違って、それほど珍しくは無かったのかもしれません。
船頭は、赤ん坊が中州に捨てられていた事を警察署へ知らせに行きました。
警察が、来るまで赤ん坊は、船頭の家で丁寧に扱われたとか。
赤ん坊は元気が良く、もらい乳をして、すやすやと寝ていたとか。
その赤ん坊が着ている着物は、とても品の良い上等な絹で出来ていたそうです。
その頃の田舎の庶民に、絹の着物は贅沢品で中々手が届く物ではなかったそうです。
船頭の家に親戚の者が集まり
「ありゃ?この赤ん坊、絹の着物なんぞ着てんのか。」
「この辺りの生まれじゃなさそうだな。」
「あ、この赤ん坊ってよ今日、岸の上の方にいた、あの女の赤ん坊じゃねえのか?」
その言葉に皆、顔を見合せ頷いていました。
「あの女が、捨ててったのか…。」
何かしら事情がある事を皆、察しました。
何日か経ったある日、警察署長が船頭の家にやってきました。
「Kさんよ、この赤ん坊はKさん家で貰って育ててくんねぇか。」
船頭の女房も、船頭自身も、赤ん坊に情が湧き、可愛いがっていたので、親戚にも相談して赤ん坊を養子として育てることにしたそうです。
そして、それから数日経ったある日のこと。
渡良瀬川の川下で、土左衛門(水死体)があがったそうです。
その土左衛門は、綺麗な上等な絹の着物を着ていました。
そう。赤ん坊の母親です。
その女の人の顔には、らい病(ハンセン氏病)の痕があったそうです。
身内に捨てられたのか、迷惑がかかると思い身投げをしたのか。
いずれにしても、我が子を道連れに出来ず、どうにかして我が子を中州に置いた、母の気持ちを思うと心が痛みました。
その後、この赤ん坊は「捨て吉」と名付けられ大事に育てられたそうです。
上等な絹の着物を着ていただけあって、きっと良家の子供だったのでしょう。
学校では、とても成績優秀だったそうです。
この話しを聞いて、何とも哀しい気持ちになりました。
やるせない。
今の時代に生まれた事に感謝する気持ちになれました。
しかし、他の叔母達と聞いていて
名前が…
「捨て吉」
そのまんまじゃん!
と突っ込みました。 捨て子だから、捨て吉って…。
昔は、大らかな時代だったのですね。
長いお話しにお付き合いありがとうございました。
では、皆様秋の夜長をお楽しみくださいませ。
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